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心の視線1

誰かと気まずくなり
相手の目を見られなくなり
思わず「視線を逸らした」という経験は
誰にでもあるのではないでしょうか。

その相手との関係性とは関係なく
話している内容自体が自分にとって
不都合な場合などもそうでしょう。

これは
誰に教わるわけでもなく
子どもでもすることです。

一種の「危機回避能力」とも言えます。

私たちは
「見ない」ということを
無意識のうちに行い
「自分自身を守っている」
ということです。

しかし
そのような無意識の行動をしている一方で
「見なければいいのに、どうしても見てしまう」
ということも無意識的・意識的関わらず
起きてしまうものです。

どう考えても
それを見ることで
自分自身に害があるのではなかろうか
というものを
「見ようとする」ということも
頻繁に起きてしまいます。

どうでしょうか?
そのようなことって
ないでしょうか?

この状態は
その人にとっては
ある種の「メリット」が
存在している状態です。

この点については
ここでは深く述べることはありませんが
その「メリット」は
単純に「好奇心を満たす」ものもあれば
その人の中をじっくりと掘り下げていかなければ
わからないことも多くあるでしょう。

そして
この話は
実際の「目」で行うことだけでなく
心理的な「視線」も同じことが言えます。

「過去のマイナスな出来事・感情が
いつも頭によぎってしまい
そのことに没頭してしまうんです。」

このようなことがあります。
そんな時
頭の中によぎってしまうことにとどまらず
その時の日記、写真、資料などを取り出して
見返したりすることだってあるでしょう。

周囲の人たちは
「そんなこと考えなくていいのに」
「今更どうしてそんなものを見るの」
などと言うことがあるかもしれません。

しかし
その人はどうしても
そうしてしまうんです。

長くなってしまいました。
続きは次回のブログでお伝えします。